月日が過ぎると、人の記憶はあてにならないもので
どんなに強烈な記憶でも薄れてしまっていく。
今年2008年7月7日。あれから8回目の命日を迎える親友。
不思議なものというか当たり前というか、
自分は年とっていくものの、脳裏に浮かぶ、
ため口をたたく彼の姿は34才の若者である。
今日は、インターネットの人々が今なお、
微かに思い出す(私にとって今もなお偉大な親友である)
彼の姿を、日記に残しておこうと思う。
そんなわけで、苦手な方はすいませんが、スルーしていただきたい。
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月日が過ぎると、人の記憶はあてにならないもので
どんなに強烈な記憶でも薄れてしまっていく。
今年2008年7月7日。あれから8回目の命日を迎える親友。
不思議なものというか当たり前というか、
自分は年とっていくものの、脳裏に浮かぶ、
ため口をたたく彼の姿は34才の若者である。
今日は、インターネットの人々が今なお、
微かに思い出す(私にとって今もなお偉大な親友である)
彼の姿を、日記に残しておこうと思う。
そんなわけで、苦手な方はすいませんが、スルーしていただきたい。
この壁掛け、外国暮らしの姉からもらいました。もみの木をかたどってあり、12月1日~25日まで、毎日一個ずつ小さなポケットがついています。
このポケットにひとつずつ、飴などのお菓子を入れておき、毎日ひとつずつ食べてはクリスマスを待つのが、ヨーロッパの子供達のクリスマスの待ち方なのだそうですよ。
クリスマスが近くなると、心に浮かぶ心象風景があります。
それは1897年のことです。ニューヨークのダウンタウンの朝は新聞を読むなり、皆一様にハートウォーミングな思いに包まれました。
皆さん良くご存知かもしれませんね。知らない方のために少し。
1897年9月、ニューヨークに住む少女ヴァージニア・オハンロンは、小学校で「サンタクロースはいるのか」について同級生と口論になりました。彼女はサンタクロースは居ると、同級生はいないといいはりました。
サンタクロースは実在するか家に戻って質問したところ、医師をしていた父、フィリップ・フランシス・オハンロンは新聞社『ザ・サン』に投書するよう提案しました。そこで、彼女は「サンタクロースはいるのか、教えて欲しい」という手紙を新聞社に送りました。
『ザ・サン』に対して送られたこの投書に対して、フランシス・P・チャーチは9月21日、
「この世には、愛や思いやりといった、目に見えないけれども、確かに存在するものがあります。それと同じように、サンタクロースだって確かに存在します」という内容の社説を書いて答えました。
“Yes, Virginia, there is a Santa Claus(そうです、ヴァージニア、サンタクロースはいるのです)”という一節のあるこの社説は大きな反響を呼び、以後、『ザ・サン』は毎年クリスマスが近づくとこの社説を掲載したほか、この文章は様々なところで取り上げられ、クリスマスについて書かれた名文の一つとなりました。
しかし、当時この社説の筆者は発表されておらず、筆者がフランシスであると明らかになったのは彼の死後のことでした。生前、ヴァージニアとフランシスが出会うこともなかったのです。
ヴァージニアはその後大人になり、ニューヨークの学校の先生になって、47年間子どもたちを教えつづけたそうです。彼女がこの社説から得たものは少なくなかったのではないか、そう私は感じます。
昔の投書と社説コラムって、なんだかBlogに似たコミュニケーションのように思いませんか?
読者のコメントがあって、さらにそれに答えるコラムがある。
私には彼が会うこともないヴァージニアをはじめとする読者に対して無数の愛を注いでいるように見えました。
今の時代は、新聞社ではなくてもBlogで情報を誰でも簡単に発信することができます。
でもそんな今だからこそ、彼の考えたような記事が余計に心に残る、必要な記事なのかもしれません。
私のBlogもまだまだ未熟で、時に愚痴を書いたりすることもあるけれど、、、
自分という読者も含めて、読者にちょっとでも勇気や元気を与えられたら、
うれしい気持ちにさせるお手伝いができたら必要な記事になるんだろうか、そんな風に考えたりします。
今日は、敬愛する「フランシス・P・チャーチ」の和訳文を掲載してこのBlogを閉じたいと思います。
みなさん、『サンタクロースはいるんですよ』
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新聞の記事を書いている人へ—
私は8さいです。わたしのお友だちはサンタさんなんて
いないっていっています。
パパに聞いたら、新聞の記事を書いている人に
聞いてみなさいって。ねぇ、サンタさんはいるのいないの?
ヴァージニア
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ヴァージニア、あなたのお友だちは間違っています。疑うようになってしまっていて、小さなお友だちの、その小さな頭では、自分の目に見えるものしか、信じられなくなってしまっているのです。
大人のものであれ、子どものものであれ、私達の頭の中は、小さな小さなものです。この広い宇宙の中では、人間は小さなアリのような者なのです。
ヴァージニア、サンタクロースはいるのです。サンタクロースは、パパとママの愛情や、人を許せる心がちゃんとあるように、また、人の為に親切にしてあげることができることと同じように、サンタクロースはいるのです。
ああ、もしサンタクロースがいなかったら、生きていくことは、なんと寂しいものであったでしょう。素直に信じる気持ちはなく、楽しい歌もなかったことでしょう。私達は自分が感じられるものや、見えるものの中にしか、楽しみを見つけることができなかったことでしょう。
サンタクロースがいないと思うのなら、あなたは、妖精も信じないのでしょうか。
クリスマスイブにパパに頼んで、一杯の人に煙突を全部見張らせて、サンタクロースを捕まえようとしたとしましょう。でもそのときサンタクロースが、煙突から、落ちてくるのを見なかったとしても、それがサンタクロースがいない事を示すわけではありません。
目に見えるものが全てじゃないんだよ、ヴァージニア。
芝生の上で踊る妖精を見たことなんて無くても、妖精がいないなんて思わないでしょう?目に見えないものが、あるなんて不思議なことを考える事さえできなくなって来てしまっているのは、悲しいことです。
赤ちゃんのガラガラを壊してしまえば、どうしてガラガラなるのかわかることでしょう。
でも、目に見えない世界を覆うベールは強い人を一杯一杯集めてきても、破くことはできません。
愛情、信じる気持ち、人のために尽くすこと、歌のような見えないものだけが、ベールを取り去り、その向こうにある美しいものを目にすることができるのです。それらはちゃんと触れる、見れるものでしょうか?
ねぇ、ヴァージニア、この世のもので、いつまでも、触れてて、見れることができるものなど、何一つないんだよ。
でも、うれしいことにサンタクロースはちゃんといます。
それどころか、いつまでも死なないでしょう。
1千年後までも、100万年後までも、サンタクロースは子どもたちの心を、今と変わらず喜ばせてくれることでしょう
サン新聞 : 1897年9月21日号
執筆 : フランシス・ファーセラス・チャーチ
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↓クリスマスにちょっといい話はこちら
2007年記事
ヴァージニアに愛を込めて
ルドルフを知っていますか
クリスマスキャロル
2008年記事
こころのチキンスープ
エリクソン博士とおばあさん
シークレットサンタ
かっちゃんと縦笛
ちょっと、苦手な人はスルーしてください。すいません
空の向こう(すいませんスローライフ&スロカノさん。このフレーズあんまり感動したので借用させてください)の親友がいます。今年の7月7日が7回忌?でした。
大学時代からの友人で、なにかと家に行っては一緒に宿題をやったり、遊びに行ったり。
彼は活動範囲が広い社交家で、友人も多い多趣味な男でした。雑誌の編集のサークルに入っていて編集長もしていました。流行にも敏感で、当時人気だった米米クラブのコンサートに一緒に行ったこともありました(つくばの奥地から、車をかっとばして、東京のコンサートに行きましたっけ)
会社に入ってからも月に一度は彼の家で、気の許せる友人たちとともに鍋会をしました。ジンギスカンをやったり、おでんを食べたり、そこでいろいろ仕事の話をしながら、お互いの話をするのが何よりの宝物でした。
彼はASCIIという雑誌編集の会社に入っていましたが、インプレスという会社に創業者と一緒に移っていました。「今度出す雑誌なんだけどさあ」といろいろ意見を聞いたり、こんな本がほしいという話に付き合ってくれたり。。
そこで、お酒が本格的になると、出すのは私のカクテルセット。新入社員の頃に買ったカクテルセットで、つたなくも、カクテルを造ります。皆で「これは良い」。「まずいじゃんこれ」。「きっついはこりゃ」、なんていいながら、わいわい飲んだものです。
とにかく面倒見のいい男で、何かあるとほっとけなくなるらしい。「デートをすることになったがどこへいけばいいかわからん」というと、即座に書店に連れて行き、ここの遊べるドライブ編のどれかを選べという。そんなこんなでいつもサポートしてもらう。僕は、何かあると彼に電話し、悩み相談しては、一緒に飲んでもらったり、遊びまわったり、そんなことをしていました。
ある日、電話をしていて、新スタートレックで、ドクターの息子が、今は無き父のビデオレターを見て、空虚感を味わうシーンを話すことがあったとき(なんでそんな話になったかは忘れた)、「やっぱ、ビデオはよしとこう」とぼそっと彼がいったのが忘れられない。何の事?ってそのときは聞いたら、ごまかしていたけど。その頃からガンが進行していたらしい。
NHKの「世紀を超えて」というガン医療の番組に彼が出演したとき、なんともびっくりしたけど、それ以上になんとも恐ろしかった。彼の行く末がどうなるのか。。。やはり、恐れたとおりに彼は空の向こうに行ってしまった。7月7日、七夕の日は彼の家族にとっても僕にとっても、もうひとつの意味で特別な日になった。今でも七夕の日に空を見上げると、「銀河鉄道の夜」のように彼の乗る列車が見えるような気がする。
それから、僕はカクテルを作るのがなんとなく嫌になった。罪悪感とまではいかないけど、何かカクテル作りというそのものが色あせてしまって、、、やっぱり、友人と一緒の思い出のものだから。。。
あれから7年強。そんな日々をすごしてきた。でも最近違ってきたんだ。yutaさんたちのBlogやオフの様子を見たり、そこで楽しくカクテルを作っているのを見て猛烈に、また作りたいなあ。自分も楽しみたい。そんなことを思うようになった。
それはひとえに、家族が支えてくれて、昔の友人が支えてくれて、そして、新しい友人(Blogをみてくれるあなた方のことです)も日に日に増えていく。その中で、新しいことに目を輝かせる自分がいる。何事にも歓喜する自分がいる。
だから、山下。封印をとかせてもらうよ。カクテル作りも再開する。
たぶん、君が一番喜んでくれるだろう?何でも自分のことのように心配してくれる君の事だから。
【ホット・エッグ・ノッグ】
ラム — 20mg
ブランデー — 10mg
暖めた牛乳 — 70mg
卵黄 — 1個
砂糖 — 1+1/2 tsp
数年ぶりだから、腕は鈍っちゃいるが勘弁してくれ。
とりあえず第一弾、味わってくれ。君の好きなソルティドッグはまた今度ね^^)y
彼のプロファイル:
山下憲治
彼のHomePage
(アクセスすると彼も喜ぶんじゃないかな。創造性を感じてほしい)
また彼は人に勇気を与え続けている。今でも(7月2日のところ)
つくづく君はすごいよ。じゃあまた。いつかソルティドックで乾杯しよう。
それまでに僕はもう少し、腕を磨いておくからさあ。