リンクシェア内の地位あると思われる人のBlogで
失礼だがといいながら書くこんなものを見かけた。
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確かに、私の寄付金額はTOTAL 256円、、
全ての案件が親族による購入ものという、ちと情けない状況。
しかし、
>このしょぼい、いや・・、いまいちパッとしない・・募金額
>よほど生活に余裕のある方か、もしくは、
>社会貢献を生き甲斐とされているような方、あるいは
:
の言いようは、あまりに失礼だと思うし、
認識の低さを露呈するものであると思う。
かつて、私はあしなが育英会の短足さんとして日々
少ない金額を募金していたことがある。
そんな私にも会報が届く。
会報費のほうが高いんじゃないかと気をもんだりもしたものだ。
その会報の中に、こんな一文があったことを記憶している。
初期の頃、寄付をくれた人のことを何も知らない。そんな状況はよくないと
奨学生たちに対して、寄付に添えられているメッセージを伝える会を設けた。
寄付をくれる人々。
その人々のメッセージを読み上げれているうちに、みるみると奨学生の目の色が変わり表情がこわばった。
彼らの考えていた寄付をくれる人々とは(足長おじさんに代表されるような)裕福な人々であり、
ある程度余っているお金を寄付しているという認識だった。
しかし、メッセージの大半は、毎日切実な日常と戦いながら、その上積みの一部を
寄付し、一緒に乗り切ろうと励ます どちらかといえば所得の低い家庭の
善意のメッセージだったのだ。
衝撃を受ける奨学生達。その目の中に宿るものに私はこれからの彼らの
成長を確信した。
苦しい生活をしているものが善意の行為を持たないという考えは愚かで
しかも失礼だ。
「健康な人や経済力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。
でもね、飢えた人、貧しい人は、握り合った手、みつめあう視線に、
ほんとうにいいたいことをこめるのよ。
ほんとうにわかるのよ、オキ、死の直前にある人でも、かすかにふるえる手が
「ありがとう」っていっているのが。
……貧しい人ってほんとにすばらしいわ。」
- マザーテレサ -