レミゼラブルにでてくる、神父様はなんといったっけな。。。
名前が出てこないが。。。
私は私のヒーローである、あの神父様の成長のくだりが大好きです。
「彼が、どのようにして神父になったのか、それを知る者はいなかった。
わかっているのは、あの飲んだくれの女癖の悪いろくでなしが、旅に出かけ
何年か後に帰ってきた時は聖職者になっていた事だけだった」
人は秘密の部分にヒーローを思い描くのかもしれません。
レミゼラブルにおいて作者は、罪とはなんなのか、それを犯してしまう
前提はなんなのか、それを問いかけている気がします。
この話を聞いたとき、なぜか、このことが頭をよぎりました。
皆さんはどうでしょうか。
では本編の始まりです。
(この話の主軸はアンビリーバブルというTVで紹介された内容に沿っています)
ずいぶんと昔の話、ラリーは行き詰っていました。
「お金が無くお腹もすいた」
どうにもお腹がすいて、無意識のうちにふらふらとレストランに入ってしまい注文し食事を食べてしまいました。
しかしお金は無いのです。無銭飲食であることを言い出せず、ポケット中をさがすふりをしながらも警察に突き出されるのを観念しました。
その時、一人の男性店員がラリーの横でしゃがんで、20ドル札が落ちていたと渡してくれました。
「これ、落としましたよ」
「ああ・・・どうも」
そう言って20ドル紙幣を受け取りました。そうして警察には突き出されずにすんだのです。
ラリーは本当にホッとしました。
1977年12月
不況で会社が倒産しラリーはまた生活に困りました。全くどうにもなりません、明日の食事代さえないのです。
とうとう銀行強盗をしようとピストルを持ち、銀行まで来てしまいました。
そしてピストルを抜こうとしたその時、窓口で子供が行員に出したものが見えたのです。
<20ドル札>
以前あの店員がしてくれた暖かいホドコシが蘇ります。
「だめだ、こんなことしちゃ・・・」
こうして愚行を思いとどまることが出来ました。
改心したラリーは1978年、妻の兄からの援助を受けてセールスマンとして懸命に働きます。
1979年12月
会社の経営が思わしくないということで、ラリーは解雇されてしまいます。
もう助けてもらうあてがないと途方に暮れていた時、ふと目についた売店に立寄り、ポップコーンを注文ししました。
店員の女性は暗い表情で、違う商品とおつりをラリーに渡します。ふと、蘇るものがあり、ラリーは彼女におつりの中から20ドル札をプレゼントしました。
彼女は受け取れないと言いましたが、ラリーは『クリスマスプレゼントだ』と言って手渡します。 この日はクリスマスだったのです。女性は嬉しそうに礼を言いました。
その笑顔を見たとたん、ラリーはとんでもないことをし始めました。そのままラリーは銀行に行くと、なけなしの貯金を引き出し、白いオーバーオールに赤い服とベレー帽という姿で町に繰り出します。
そして困っているような人や貧しい人に20ドル札をクリスマスプレゼントとして手渡して歩くのです。
シークレットサンタの誕生でした。
家に戻ると、奥さんから「銀行にお金が残っていなかった?」と聞かれました。ラリーは落としてしまったと答えました。
「そう。。じゃあしょうがないわね。」
怒るとばかり思っていたラリーは、なぜ怒らないのか聞きます、すると奥さんは・・・
「怒ってお金が戻ってくるなら怒るけど、そうじゃないでしょ?」
その奥さんの言葉にうそをついた後ろめたさはあったものの、ラリーは救われた気持ちになりました。
1980年
ラリーは友人と長距離電話の会社を設立し、懸命に働きます。
そして、その年のクリスマスにも道に立って人々に現金をプレゼントする活動を続けていました。
そしてその金額は少しずつ多くなっていきました。
不思議なことにシークレットサンタとなって施しをすればするほど会社の業績が上がり、
長年の切り詰めた生活から抜け出し家族のために家や新しい車を買えるまでになったのです。
その頃、町中でシークレットサンタの噂を耳にするようになっていました。
素性を明かさないこの善意が、ラリーの奥さんの耳にも入ります。
話を聞くと人間像がラリーに似てる・・・そう奥さんは思ったのです。
「シークレットサンタって、もしかしてあなたじゃないの?」
ラリーは驚き、今まで隠していたことを告白します。
絶対怒られる・・・・そう思いました。
すると奥さんは・・・
「そうだったのね・・・じゃあこれからもっと節約して、沢山の人に配れるようにしようね!」
ラリーは驚くとともに、奥さんの言葉に感激しました。
それからもラリーはシークレットサンタを続けました。
不思議なことにどんどん仕事は順調になり、より多くの贈り物をし続けました。
1995年、地元ではすっかり有名になっていたラリーは匿名を条件に取材に応じました。
カンザスシティ・スター紙のマクガイヤー記者は、
彼も家族も一切表舞台に出ようとしなかったと話します。
しかし報道されてから、シークレットサンタの正体への関心はさらに高くなっていきました。
一方ラリーは多くの人に感謝されるにつれて、ある人物に会いたいという思いが募っていきました。
1999年12月
ラリーはミシシッピ州のトゥペロという小さな町のある男性宅を訪れました。その男性とは、シークレットサンタの生みの親だった人です。
28年前の1971年、一文無しだったラリーが落ちていた20ドルに救われた日のこと。本当の落とし主が現れたら困るので逃げるように店を後にしたラリーは、家に帰って我に返えり真実に気づいたのです。
20ドルは、落ちていたものとして男性店員が彼にくれたものだったことに。男性店員はテッド・ホーンといい、いきさつを話すと当時のことを思い出しました。
ラリーは彼がしてくれたことをいつか誰かにしようと思ったのだと話し、自分の人生を正しい方向に導いてくれたお礼にと、ラリーはテッドに1万ドル(約120万円)の入った封筒を渡します。
受け取れないというテッドに、ラリーは自分が今あるのはあなたのおかげだと引かなかったのです。
当時テッドは、警察に突き出すのではなく、自らの過ちに気づき、他人への優しさを知って欲しいと思って20ドルを差し出しました。それをずっと覚えていて、サンタ活動を続けたことには頭が下がるとテッドは話します。 テッドさんはラリーさんから渡された1万ドルを、近所の病気で困っている人たちや生活に苦しい人たちのために使ったといいます。
その後のラリーの業績は以下の通り
2001年 世界貿易センタービル爆破事件のあったニューヨークに行き、ホームレスや職を失った人を中心に2万5千ドルを配布。
2005年 ハリケーンで壊滅的な被害を被ったミシシッピ州を中心に7万5千ドルを配布。
27年間で配った総額は150万ドル(約1億8千万円)
だが突然、そのシークレットサンタ(ラリー)がカメラの前に現れ正体を明かしました。
彼は言いました。
「名乗りを上げることで名声を得たいわけでありません。
私は食道がんを宣告され、余命いくばくもありません。
もうシークレットサンタを続けることが出来ません。」
正体を明かしたのは、自らの命の宣告を受け、身近な人への思いやりを広げて欲しいというメッセージを送りたかったからだろうと、マクガイヤー記者は話します。
2日間で7000通もの手紙やメールが彼のもとに届きました。大半は自分もシークレットサンタになりたいというものでした。
その年のクリスマスも彼は病気を押してサンタの活動を行いました。そのお陰で多くの人が笑顔でクリスマスを迎えらました。
2007年1月12日、ラリーは58歳で静かにこの世を去ったのです。
彼の笑顔と優しさは数えきれないほどの人の胸に永遠のサンタとして刻み込んだことでしょう。
生前ラリーは、シークレットサンタ協会を設立、
会員資格は少なくとも1回他人への親切な行為を行うこと。
今でも世界中から登録の申し込みが後を絶たないということです。
↓クリスマスにちょっといい話はこちら
2007年記事
ヴァージニアに愛を込めて
ルドルフを知っていますか
クリスマスキャロル
2008年記事
こころのチキンスープ
エリクソン博士とおばあさん
シークレットサンタ
かっちゃんと縦笛
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国境なき医師団 | CHINTAI | 63.9% | ノーベル平和賞受賞 | 世界、医療支援 |